怖ーーい話サルノコシカケ編3(藪の中の何か)
2017年 07月 25日
















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2017年 06月 27日
当ブログの「サルノコシカケ」をご覧になっていただければ、
ガンに効果のあると言われるキノコを採りに行っていたことと、
深山幽谷へ単身またはうぐ丸と同行で行っていたことが分かると思います。
主に日本3大秘境と呼ばれる「かずら橋」で有名な徳島県
の祖谷地方と高知県の県境の辺りで採取していました。
ある日、徳島県との県境にある京柱峠から高知県香美市物部へ
山越えする途中の原生林へサルノコシカケ採集に行ったのですが・・・
当日は、朝早くから原生林へ登って、正午には沢山の
サルノコシカケが採れたので早々に山から下ることになった。
サルノコシカケが重くて、リュックが肩に食い込んだ。
いつも以上に足元に気を付けながら山を下った。
狭く急で、人1人しか通れない曲がりくねった山道をしばらく下ったところで、
ちょっと道が広くて30~40メートル先まで見渡せる緩い傾斜の斜面に入った。
足元を気にしつつ歩きながらちらっと下る方を見ると、中年男性が1人登って来るのが見えた。
薄い青色のジーンズ、チェックで茶色の長袖シャツ、メガネをかけていた。
いかにも登山が趣味のように思えた。
道が広い場所で、まだ15メートルは距離があったので、
すれ違う時に道を少し譲り合えばいいと思った。
視線を足元に落とした瞬間、胸の辺りを何かが通り抜けたように感じた。
あれっと思い、すぐ前を見るとさっきの男性がいない。
ぱっと後ろを振り向いたが10~15メートルの登り坂にも人影はなかった。
( ゚Д゚) 再度前後を見たが男性は忽然と消えていた。
もちろん道の左右に隠れるような場所は無かった。
思い返せば最初に見た時、何か色が薄いというか透けて見えたように思えた。
霊だったのだろうかと思ったが、不思議に怖いという感覚はなかった。
この山で遭難し亡くなった方がいるとの話を聞いたことはない。
登山好きで、この山へ登ることを楽しみにしていたが、
その思いを果たせずに亡くなった方の霊が頂上を目指して
登って来ていたとでも言うのだろうか・・・・・。
今でも思い出すたびに、何かが体を通り抜けていく独特の感触がよみがえるのだが。
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2017年 05月 26日
A long time ago, in far away Sirokawa Ehime …..
STAR WOWS
スター ワオーズ
新たなる情報が
古い北海道大学の
論文中から発見された。
地名のみで地図は全くない
愛媛県城川町のどこかでかつて
採取された化石の写生画と共に。
ウグ丸とウグ丸パパは、嗅覚と
Bさんフォースを頼りにどこに
あるとも知れないファンギア
Spを求めて旅立った。
2017年 05月 24日
2017年 05月 22日
宝島編最終回
化石サンゴ宝島編のデュラミナ・ハシモトイらしき化石についての考察
この写真は、今まで出してない部分だよ。
今回は、非常に硬い話になるので、その気で見てください。
以前の記事でも一部書いたことがありますが、今回の考察で年代が必要であるため、再度記載します。
デュラミナ・ハシモトイは3度名前が付いていますが、1941年コーウェニア・ハシモトイ、1950年ファンギア・ハシモトイ、1965年デュラミナ・ハシモトイと変わっています。
1955年の論文で、ファンギア・ハシモトイと紹介された岩手県大船渡市坂本沢のものは、1965年にデュラミナ・キタカミエンシスとして名前が変更になっています。(北海道大学のデータベースからデュラミナ・キタカミエンシスの写真と1955年の論文をご覧いただければ、同一の写真が論文ではファンギア・ハシモトイとして載っているので確認いただけると思います。)
今回、宝島編の発端となった地図は、1957年に描かれたものであり、書いた方は(H氏とする)、主にフズリナ化石をあちこちで採取し、地質の年代を調べていたようで、その中でたまたま今回の産地でデュラミナの化石を発見したと思われます。その論文中でファンギア・ハシモトイとして紹介しています。1957年であれば、H氏は土佐山のデュラミナ・ハシモトイを見たことがあるはずで、地図を描いた時点では同一のものと判断したと思われます。ただ前述のようにファンギアと呼ばれていた時代は、全てがハシモトイと分類されていたことから、現在のデュラミナ・ハシモトイと同じであったかは、H氏が採集したものがどのようなものだったか資料がなく比べようがありませんが、推測として、採取場所が同じであることから同じものと思われます。(2017年6月24日の宝島編22を見てね、H氏が採取した化石が見つかったよ)
ハシモトイ、キタカミエンシス、スズケンシスの違いは主に直径と大隔壁の数で、ハシモトイ直径15~18ミリ、大隔壁30~36、キタカミエンシス直径12~14ミリ、大隔壁22~30、スズケンシス直径8~11ミリ、大隔壁21~26となっているようです。
宝島編の化石は、大隔壁が30本はありそうで、これよりデュラミナ・ハシモトイの可能性が高いと考えていますが、ヤッチェンギアのようによく似た化石も存在することから、今後採取した岩の中から保存の良いものが発見できればと考えています。2回目の採取品も今後詳しく調べる必要があり、フズリナ等の別のものという可能性も高くそこも含めて調べようと思っています。宝島編は今回で終了しますが、今後研磨等を通じて新しい発見があればこのブログで報告したいと思います。
硬いお話で肩がこったよ。わんわんわん
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