go go ugumaru!!

バせドウ病歴 30

優先順位は目が一番

ばね指は注射で痛みを抑え手術は目の手術が終わってから。

いよいよ、二泊三日の超ーーーハードスケジュールの入院をする事に・・・

いつものように、朝一番の飛行機で東京に向かい

病院に着くのが10時頃

原宿駅から徒歩10分ほどだが真夏という事もあって病院に着くと汗だくだった。

「すみません。先にシャワーを浴びていいですか?」

「あー、すぐに検査が始まりますので手短に」

急いでシャワーを浴び検査に向かう・・・

検査が終わり部屋に戻ると次は急いで隣の部屋に・・・


今回の入院では偶然にも初めて入院した時に一緒だった愛知のHさんが入院している事を聞いていた。

彼女も私と同じ複視に苦しんでいた。

私は比較的早くに手術ができたが、彼女は8年目にして

今回やっと手術ができるそうだ。

「元気ーー?」

「元気ーー?」

懐かしい再会だった。

挨拶もそこそこ、私は早くも手術の準備に入った。

今回の同室の人は

バせドウ眼症3人と緑内障の人が1人

すぐに打ち解け病気の話しに夢中になった。

「Tさん、行きましょうか。」

と看護師さんが迎えにきてくれた。

「えーーーっ?もう手術なの?」

と同室の人が驚いていた。

「はい、超ハードスケジュールの入院なもので(^-^;」

行き慣れた手術室へのエレベーターの天井を眺めながら

「これが最後の手術にしたいなあ」

と思った。

つづく

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バせドウ病歴 29

10月の診察でまぶたの弛みの手術を受けられる事になったが、

しばらくMRIを撮っていなかったので

その検査を翌年4月に受け

炎症がなければ無事に手術が受けられる。

埋没法の手術を受けていたので、術後1年は空けた方が良いらしい。

 
4月のMRIの検査も無事クリア

7月28日いよいよ手術となった。


入院まで1カ月という時に

朝起きると手の指がこわばって握れない状態になった。

そのこわばりは以前から少しずつ感じていた。

リュウマチだと困るなあと思い

糖尿病の病院で検査をしてもらった事があった。

しかし、結果は陰性

へバーデン結節という

指の第一関節が痛む病気にはすでになっていたので

その影響か?と思っていた。

手のこわばりは日増しにひどくなり

痛みで夜中に目が覚めるほどになった。

整形外科に行くと「ばね指ですね」と言われステロイドの注射をされた。


私は、痛みには強い方で注射も平気なのだが

この注射は痛かった(-。-;)

薬指の付け根あたりに注射をするのだが・・・

注射が終わって起き上がるとほほに涙が流れていた。

「痛みで涙が出るんだ(@_@;)」

初めてだった。

原因は、またしてもよくわからないらしく

手を使い過ぎるからという訳でもないらしい。

現に私も家事くらいしか手を使う事はない(-o-;

取りあえず注射を打って様子をみて

効果がなければ手術という話しだった。

「あのー、7月に目の手術を受ける予定なので、それが終わってからにして下さい。」

とお願いした。

ステロイドはいろんな病気の治療に使われるが

とにかくよく効く

しかし、必ず副作用が出るのも事実・・・

たかが手の指にステロイドの注射をしただけなのに・・・

糖尿病の検査では見事に血糖値が上がっていた002.gif

つづく


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バせドウ病歴 28

前日の夢のような一日が終わり

さて、眼科ではどうだ?

「先生、せっかく紹介状を何通も書いて頂いたのに

形成外科では断られるし、美容整形では何だか危なっかしいし・・・

唯一、埋没法の手術を眼科でしてもらったのですが・・・

一か月もしないうちにまぶたが垂れ下がってきて・・・(;_:)」

と話すと苦笑しながら、

「埋没法ではねぇ」

「する?手術」

と言ってくれた\(^_^)/

最初からここでお願いしとけば良かった(^-^;

あちこち遠回りをしても、結局はここしかない。

「すみません。いつものように最短でお願いします(^-^;」

「じゃあ、二泊三日でやりましょう。」


この病院は地方から来る患者に対しての融通をきかせてくれる

特に私は長い間留守ができないので・・・

と、いつも無理なお願いばかりしていた。

それでも嫌な顔1つせず、ドクターも看護師さんも優しい(*^^)v


さあ、二泊三日の手術はどうなるか・・・

つづく


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バせドウ病歴 27

東京の病院に行く時は

必ず誰かと会う約束をした。

入院仲間だったり、東京在住の友人だったり

とにかく楽しみを持って上京する事を心がけた。

ハイタッチという一大イベントに加え、

中目黒散策とお台場の夜景が綺麗なレストランでの食事

今回の上京は盛りだくさんだ。

有難い事に、私がそんなわがままを言っても

いつも完璧なエスコートをしてくれる友人がいた。

20年ほど前、転勤先で知り合った友人で

私が東京に通うようになってから、いつも付き合ってくれる。

「今度はこんな所に行きたいと思ってるの。」

と言うと、休日にはご主人と二人で下調べに行ってくれて・・・

 
ハイタッチは朝10時から夜8時までに6回に分けてやる。

私は2時からの部だったが、1時頃には既に行列ができ始め

付き添いにきてくれてた友人と別れ1人並んだ。

長蛇の列ができ、次々と進むのに一向にその時は来ない(-_-;)

4時間ほど待って、やっとその時がきた。

「きゃーーっ!!」と言う歓声の方を見ると、6人が仮設ステージに並んだ。

ハイタッチの前に、短いトークがあるようだ。

運良く、張られたロープのすぐ横にいたので

全員の姿がよく見えた(*^^)v

「あっ、テレビで観た時に履いてた靴。」

「わあーー、ついに実物のAだ❤」

10分ほどのトークはすぐに終わり、

いよいよハイタッチ

ベルトコンベアーに乗せられたように、

前に前にと促される。

「止まらないでくださーい・」

と言う係員の声がずっと聞こえている。

前に並んでる人が一瞬居なくなったかと思うと

つい立ての向こうにAが立っているのが見えた。

184センチ 72キロと言うAが

どんなに大きくてスリムなのか?

それを確かめたかった。

「思った以上にガッチリとした体形で痩せてるとは思えない(*_*)」

「顔は手のひらサイズで小さい(*_*)」

一瞬でハイタッチは終わり、

次のKーS--N--・・・

そして、メンバーきってのイケメンと言われるTの番

「テレビで観ると肌がきれいなのに、意外にシミがあるなあ」

でも、みんなキラキラした目でほほ笑んで

1人1人にきちんとハイタッチをしていた。

謙虚な姿勢

このメンバーが好きな理由はここにある(^_-)-☆

いつだったか思い出せないくらい昔に感じたワクワク感を

感じる事ができた(*^^)v


さて、次は夜景の綺麗なレストラン

友達が下調べしてくれていたおかげで、

まさに私が行きたかったお店でディナーを堪能できた(*^^)v

「ここ、ここ、テレビのドラマで映ってた。この夜景をバックに

写真撮っていいかな?」

田舎者丸出しで写真を撮り

地方から修学旅行で東京に来た学生みたいにはしゃいだ(^-^;

「どうしよう、死ぬまでにやりたい10の事の3つは叶えちゃった( ̄┰ ̄*)

このペースで叶えていくとすぐに10個叶いそう(-o-;」


明日は眼科に行く日・・・

つづく

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バせドウ病歴 26

目標はできたものの・・・

まずはハイタッチのチケットを手に入れなければ・・・


東京の眼科の予約日に合せて10月1日の東京ビックサイトで行われるハイタッチ

すごい数の応募なんだろうなあ(-_-;)

どうせ当たりっこないや・・・

でも、応募しなけりゃ当たりもしない。

よしっ、一枚だけ応募しよう(*^^)v


一週間後・・・

まさかの大当たり☆  本当に当たっちゃった(⌒▽⌒;)

目が悪くなってから鏡を見るのが嫌で

ろくに手入れもしてなかった。

エステには行かなかったが自己流でマッサージをし、パックもした。

問題はダイエット

これまで何度もトライしたが、未だかつて成功した事がない。

三か月で五キロの減量

まず、空腹を満たすためのおからクッキーを作るところから始めた。

手間暇かけた割には、たいして美味しくもない

これなら市販のおからクッキーを買った方がマシ。

激しい運動は続かないので、いつものウォーキングに早歩きウォーキングをプラスして

間食はしない

食事は野菜から食べ満腹感を与え、主食はできるだけ少なく・・・

いつもなら三日坊主で辞めてしまう私が

今回だけは続けられた(*^^)v

三か月で五キロのダイエットに成功した。

それなりに見やすい体系になり体も軽くなった。

しかし、1つ問題が・・・

せっかく埋没法で上がったまぶたが、時間と共にまた垂れ下がってきたのだ。

脂肪を取る時に、「いま、たくさん取ると歳がいった時に落ち込んでしまうから・・・」

と、ある程度脂肪を残していたために、その脂肪が圧迫して糸が留まっていないようだ。

結果、二重の線がジグザグになっておかしなことになっている(*_*)

これではハイタッチに行けない(-_-;)

薬局に行ってアイテープを何種類か買ってきて

色々試して、やっとそれなりに見られる目になった。

取りあえず、これで行こう(*^^)v

つづく


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バせドウ病歴 25

入院設備のない小さなクリニックでは

手術後30分ほど院内で休んだだけで帰宅できる。

三か所を糸で留めるだけの簡単な手術なので・・・

と、気軽に受けたが、意外にも痛い(-_-;)

まぶたにある小さな血管や神経が糸で圧迫されるのだから

そりゃあ、そうだ!!

まぶたは見事に上がり逆さまつ毛はしなくなった。

接開法よりも自然な感じにと埋没法を選んだが

それでも元の目よりはパッチリ目になった。

私の場合、眼球突出は軽い方だが

右目は左目よりも数ミリ突出している。

通常、黒目はまっすぐ前を見るとき、黒目の一番上がまぶたに掛かるか掛からないかとなる。

それが、突出すると白目の所まで見えて、目を見開いたように見える。

私の右目もそうだ。

それをまぶたを上げる手術をしたので余計に見開いたように見える。

腫れがひき、まぶたの重みで見開いた状態も軽減されるだろうと期待した。

案の定、一週間もすると腫れがひきまぶたもなじんできた。

よし、これでまぶたのたるみは改善された。


ある日、テレビを観ていると、タレントの某婦人が「死ぬまでにやりたい10の事」

として、スカイダイビングに挑戦している姿が映っていた。

「死ぬまでにやりたい事かあ?」

願い事ならたくさんあるが、やりたい事となると・・・

なかなか思いつかなかった。

「いつか・・・」

そう思ってきた事を考えてみた。

「表参道を友達と步く・・・は叶った。後は・・・」

見かけはいかついが、とっても真面目で努力家の集団EX○○に会ってみたい。

「死ぬまでにやりたい10の事の1つめは、Ex○○のハイタッチに行く事」に決めた(*^^)v

ここから、ダイエットと美容マッサージの挑戦が始まる・・・

つづく

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バせドウ病歴 24

その後、親友は半年に一度の定期健診を受けている。

私がバせドウ病になってから

周りの友達も甲状腺の検査を受けるようになった。

人間ドックなど、普通の健康診断では甲状腺の病気はみつからない。

あれこれ検査をした結果、最後に甲状腺を調べてバせドウとわかったという例もあるくらいだ。

入院中に知り合った人にも、

最初は花粉症やアレルギーという診断を受け

あまりに治らないので別の病院に行ってバせドウ眼症とわかったという人がいた。

それだけ珍しい病気だという事かもしれない。



まぶたの脂肪を取り、スッキリしたはずが、

今度はまぶたの皮膚がたるんでまつ毛の上にかぶさってきてしまった。

逆まつ毛のようになり、目がチクチクする。

かぶさったまぶたのせいで、何だか見えづらい・・・

この、たるんだまぶたを何とかしたい。

確か、東京の眼科で「皮膚がたるんできたら、その部分を切除できるから」

そう先生がいってたなあ。

ちょこっと皮膚を切るくらいなら地元の病院でもできるだろう。

何日も家を空けられない私は

よっぽどでない限り東京まで行くわけにいかない。

東京の眼科にお願いして紹介状を書いてもらう事にした。

まず、地元の形成外科に・・・

病歴をズラズラと書き綴った問診表に目を通したドクターが

いろんな角度から私の目を見て、

「多少、まぶたが垂れていますが、形成外科での手術をするほどとは思えませんね。」

一軒目の形成外科で断られたので

すぐに二軒目の形成外科に・・・

ここでも、「この手術をして、満足のいく患者さんは半分しかいないんです。こんなはずじゃなかったと、

いう人もいます。目が見開いたみたいになるので・・・」

と、さもやらない方がいいよと言わんばかり021.gif

仕方がないので、これまで避けてきた美容整形外科にも行ってみた。

「私はバせドウ眼症で・・・」

と病気の経過を言おうとすると、

「病気じゃなくても、年齢的にまぶたのたるみは出てきますよ。先日も若い頃に二重瞼の手術を

受けた人が、歳がいってまぶたが弛んできたからといって手術しました。

えーっと、保険適応外ですから30万円と抜糸時に3千円・・・」

そう言って、二重瞼の手術をした人の写真を見せられた(@_@;)


やっぱり美容整形なんかに来るんじゃなかった021.gif

病気の事なんか聞きもしないで

万が一こんな所で手術をしたら、将来再発した時に取り返しのつかない事になる。

ちょこっと皮膚を切り取るのに

こんなにも大変なのか・・・

途方にくれていた時、ある眼科を思い出した。

糖尿病の病院でバせドウ眼症の看護師さんがいて、

その人は同じ病気という事もあって、何かと話しかけてくれた。

その人は仕事があるので東京までは行けないからと

大阪の眼科に行ってると言っていた。

以前、大学病院で治療を受けた事もあり、

その大学病院にいた先生が開業してクリニックを開いているという情報を手に入れた。

早速、そのクリニックに行ってみた。

「○○病院に通ってるんですね。この病院はバせドウ眼症では日本一の病院です。

縁を切ってはいけませんよ。年齢的にも再発の恐れは十分ありますから。」

「逆さまつ毛になっていますね。埋没法と接開法どちらにしますか?」


埋没法は糸で三か所ほどを留めてたるんだまぶたを上げる、接開法はまぶたを切開して

縫い合わせるのでパッチリとした目になる。

私の目的は弛んだまぶたの皮膚を切除してもらうことなので

パッチリお目目になって別人にはなりたくない。

埋没法でお願いします・・・


つづく


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バせドウ病歴 23

甲状腺専門の病院は予約ができない

周辺はもちろん、全国各地から患者がやってきて

診察番号は1000代を超える。

通路や階段など、椅子に座れない者は空いた場所を求めて移動する。

それだけ患者が多いが

ドクターの数も多い為、どんどん順番も進んで行く。

友達をその病院に送り、すぐに自分の眼科に行き

10時の予約だが、検査や診察が終わるのは12時頃になった。

それでも早い方で、とにかく混んでいる(-_-;)

会計を済ませまた表参道の甲状腺の病院に向かった。


それほど広い病院ではないが、人が多いので友達を探すのに苦労した。

やっとみつけた彼女は、不安そうに

「遠くからわざわざ来てるから、午後に処置をしてくれるって・・・。」

エコー検査の結果、チョコレートのう胞ができているとわかったようだ。

喉に注射針をさして、そののう胞を吸い取るという訳だ。

取りあえず、お昼ご飯を食べに行こうとなり、

近くにあるとんかつで有名なお店に行った。


この店は、私が放射線治療を最初に受ける日に

放射線科の先生が、近くに美味しい店があるからお昼はそこで食べるといいよ(*^^)v

と教えてくれた店だ。

これから放射線をかけると言うのに、とんかつなんて食べられない008.gif

そう思ったが他に知らないし・・・と結局行ったんだった。

後から思えば、先生は私の緊張をほぐす為に

そんな話をしてくれたんだろう。

今度は私が彼女を連れてとんかつ屋に・・・

ざわざわした店の中で2人でとんかつを食べる。

1人寂しく食べたあの日と違い

今日は親友と二人

でも、午後の処置の事を考えると安易に喜べない・・・


とんかつ屋から戻りまた診察室の前で待つ。

既に午後の診察を受ける人でいっぱいになっていた。

どれぐらい待っただろう。患者も減りまばらになった頃

やっと彼女が出てきた。

「甲状腺ホルモンの値は正常。チョコレートのう胞は注射器で吸い取ったが、

またすぐに溜まる人もいれば、そうでない人もいる。」という

説明だったらしい。

甲状腺ホルモンの値が正常と言う事にホッとした。

チョコレートのう胞の治療なら

地元愛媛で定期的に診察を受けていれば大丈夫なはずだ。
 
私の辛い時に、いつも支えてくれた彼女が

もしも同じ病気になったら・・・

なんと言って慰めたらいいか・・・

そうならなくて本当に良かった。


ただ、チョコレートのう胞だってあまくみたらいけない。

定期的な検査は必ず行く事(^^)v

つづく


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バせドウ病歴 22

まぶたの腫れが軽減されたおかげで

東京の眼科に行くときもあちこちに立ち寄る余裕ができた。

せっかく高額の旅費を使って行くのだから

病院だけじゃもったいない

入院仲間に連絡したり、東京に住む昔からの友人に付き合ってもらった。


12月、診察予定のあった私に合わせて

愛媛の親友が一緒に東京に行く事になった。

首にしこりができ、地元の病院で診てもらったら甲状腺に何かができてるという事だった。

東京に行くのだから表参道にある甲状腺専門の病院に行く方がいい。

私が放射線治療(リニアック)を受けた病院だ。

お互い飛行機で羽田に向かい、空港で待ち合わせをして都心に向かった。

まず、ニ子玉のショッピングタウンに行き

お店を見て回ったがすぐに疲れ最上階にあるカフェに入った。

コーヒーとケーキを注文し外の景色を眺めながら、

「子供たちが小さかった時、ここで遊んだんだぁ。三人の手を引いて歩いた事を思い出す。」

そう言って彼女は懐かしそうに河原の景色を眺めた。


彼女もまた私のように夫の転勤に合わせ引っ越しを繰り返していた。

昔、横浜に住んでいたそうで

東京には思い出がいっぱいあるようだ。

若い頃なら賑やかな場所の観光もできたが、

今は体が付いていかない(-_-;)

私も彼女も静かなカフェで昔を懐かしむのが一番楽しかった。


夜になると、私の希望で東京駅のイルミネーションと

表参道のイルミネーションを見に行った。

東京駅まで行くと、それらしきものがない(*_*)

壁に貼ってあるポスターを見ると、明日から・・・と書いてある002.gif

「えーーーーっ、明日から?」

よく調べもしないで行動する、私の悪い癖(^-^;

仕方なく次は表参道へ・・・

神宮前の地下鉄の出口に出ると、人混みの中に出た。

「イルミネーション、やってない(*_*)」

せっかく来たのにーーーーー。

数年前はやってるって、入院仲間が写メール送ってくれたのに・・・・

なぜか?その年はやってなかった002.gif

でも、私は・・・

あの日願った、表参道を笑いながら友達と步くという夢を叶える事ができた。

夢が実現するのに4年かかったけれど

また次の夢をみる事ができるようにまでになったことに

幸せを感じた。

私の夢を叶えてくれた親友に心から感謝した。

しかし、ずっと励まし支えてくれていた親友が

今度は甲状腺に不安を抱えている・・・

なぜ、友達が・・・

明日は彼女を病院に送っていった後、私は眼科に行き

診察が終わったらまた彼女の病院に行く。

甲状腺の病院と私が通う眼科は提携していて、歩いて10分ほどの距離だ。

ずっと付いていてあげられない事が申し訳なかった。

口には出さないが、きっと不安でいっぱいだろう。

つづく


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バせドウ病歴 21

家族も友人も、「ずいぶんまぶたがスッキリしたね」

と言ってはくれたが、

自分では、もう少し余分に取ってもらった方がよかったかなあ・・・

と、やや不満025.gif

「あまりたくさん脂肪を取ると、歳がいった時にまぶたが落ち込んだみたいになるからねえ」

と先生が言っていたなあ・・・

まっ、いいか(*^^)v

一番ひどい時からいうと全然いいや003.gif

不眠症になり、誘眠剤を飲みうつ症状が出ている時に

テレビで心療内科の先生がウォーキングがいいと言ってるのを観て

ウォーキングを始めていた。

1人も寂しいので、近所に住む友達にも付き合ってもらった。

彼女もまた、身近かで私を支えてくれる大切な友達だ。

若く明るい彼女のパワーに

いつも良い刺激をもらった(^_-)

外の空気を吸い、誰かと話しながら歩く・・・

これはうつ症状にも効果があるらしい。


ヨガも始めていた。

以前から薦められていたものの、

なかなか予定が立てられない状態だったので、決められた日時にいけるかどうか・・・

そう思ってぐずぐずしている時

お隣の奥さんがヨガをやっているから一緒にどう?と

誘ってくれたんだった。

自律神経に良い(*^^)v

その一言に、行く事を決めた。

病気を知る為に、色々な本を読み

PCで調べ・・・

良いという事は片っ端やってみた。

何度も落ち込み、諦めかけたが、そのたびに「焦らず、諦めず」

そう自分に言い聞かせた。

表参道を歩く人混みの中を、うつむき沈んだ気持ちで歩いたあの日

私が人生で最悪な日を迎えているとして・・・

この人混みの中には、人生で最高の日を迎えている人がいるのかも?

いつか私も友達と一緒に笑いながらここを歩きたい

そう思った事を思い出し、絶対に諦めないと決めた。

息子2人が東京の大学に行き、

夫が転勤で単身赴任した4月

近所に住む両親は居たものの、家には私と愛犬2人だけ。

「明日から私だけの時間が\(^_^)/」

そう喜んだ2週間後にバせドウ眼症と診断され、東京まで通う事になったのだ。

最初の甲状腺ガンの手術から既に12年が経っていた。

このまま暗い人生を送りたくない。

この頃には、心もたくましくなってきた。

「試練を与えられるのは嫌だけど、幸せになるために必要だというのなら、

受けて立とうじゃないの017.gifかかってこいや!!」

そんな気持ちになった。

ウォーキングのおかげなのか?ヨガの成果なのか?

とにかく私は前向きになる為の何かをみつけた。

つづく



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バせドウ病歴 20

まぶたの脂肪を取る手術は、

最初の入院で埼玉のHさんがしていたので

だいたいの予想はできた。

先生が、美容整形のほうがきれいにできるから

御希望なら紹介しますよと言われたけど

美容整形と言う言葉に抵抗があり

病気の事を一番よく理解しているこの眼科で手術をすることにしたと言っていた。

私も同じ気持ちだった。

きれいになりたいというのではなく

少しでも元の顔に戻りたい・・・

その為の治療の一環だと思いたかった。

通常なら抜糸をしてからの退院なので、

だいたい10日くらいは入院が必要だった。

でも、私は病気の父を母1人に任せて長い間留守にはできず、

最短でお願いします と言って、

なんと3泊4日の超ハードスケジュールでの入院にしてもらった。

朝1番の飛行機で羽田に向かい、

原宿の病院に着くのは10時頃

それから、手術に備えていろいろな検査をし、

二日目に片目の手術

三日目に、もう片方の手術

四日目の昼には退院して夕方には自宅に着く。

もちろん、糸は縫ったまま^_^;

帽子にサングラスをかけ、明らかに変な人(@_@;)

そして一週間後、また日帰りで東京まで行き抜糸をするという

とにかく強行作戦だった。

まつ毛の生え際ギリギリの所にメスを入れ

そこから脂肪を取りだすようだ。

手術中、何かパチパチとハサミで切るような音が聞こえ

どういう風にしているんだろう?と気になったので、

帰ってからPCで「まぶたの脂肪を取る手術」という動画を観てみた。

貼りついた脂肪をハサミのようなもので切り離している養子が映っていて

「観るんじゃなかった002.gif

後になって怖くなった(-_-;)

何がともあれ、念願の脂肪除去手術が無事終わり

後は徐々に腫れがひいてくるのを待つだけ・・・

さて、どんな顔になるか・・・

つづく

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バせドウ病歴 19

複視の手術をした後、2年ほどはまた経過観察が続いた。

入院中、一度は良くなったものの、また再発して再手術を受ける人がいた。

私もまた再発するのか?

そんな不安がいつも付きまとっていた。

夜、犬の散歩に出ると、必ず公園で夜空の星を見た。

右目を隠し左目だけで星を見ると、光が縦長に見える。

左目を隠し右目だけで星を見ると、光が斜めに見える。そして両目で見ると、

その二つが交差して何となく星の形に見える。

「よし、クリア(^_^)v」


テレビを観ていても、右目左目を片方ずつ隠しそれを高速で続ける。

すると、目の調節力が高まるのか?

画面がきれいに観える。

自分なりの目の体操としてずっと続けていった。

いつもの経過観察の受診に期待もせず行くと、

思いがけず、先生が脂肪を取る手術にOKサインを出してくれた。

「やったー(*^^)vついにこの腫れあがったまぶたとサヨナラできる003.gif

また、主人に電話した。

「先生が手術してくれるって言った。」

「良かったね。辛抱した甲斐があったね。」

つづく




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バせドウ病歴 18

バせドウ病になった頃から円形脱毛症を繰り返していた。

皮膚科に行って、光線を当てステロイドの薬を塗る事半年

やっと髪の毛が生えてきたかと思うと

また別の所が抜けてくる007.gif

行きつけの美容院に行って、まぶたの腫れがわかりにくいように前髪を切ってもらい

ハゲが見えにくいように髪型を工夫してもらった。

それでも風が吹いている日は帽子を被りハゲ隠しに苦労した(-o-;

円形脱毛はストレスがかかるとなるものだと思っていたが、

皮膚科の先生に聞いてみると、

「以前はそう言われていましたが、最近の研究では、脱毛症になる遺伝子が関係していると

言われています。アトピーや花粉症なんかと同じようなものですね。」

との事だった。

「ふーん、何かと原因はわからないんだけど、自己免疫の異常からくる・・・

って、よく言われるけど、結局は遺伝子とか体質だとか持って生まれたものって事か014.gif

何となく理解した気がした。

慣れというものはすごい。

何回も繰り返すうちにどこかがハゲてきても

たいして気にならなくなっていったが、まぶたの腫れだけは慣れることがなかった。

私の場合は眼球突出よりもまぶたの腫れがひどく

ひどい時はメガネのレンズにまぶたが触れることもあった。

複視がよくなったと思ったら、次はまぶたの脂肪を取る手術を受けたい。

次の目標はコレだ!!

つづく


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バせドウ病歴 17

いよいよ複視の手術が受けられるようになった話は

以前、「ついに、手術!!」というタイトルで書いたので省くとして・・・。

高知と東京の行き来はたいてい飛行機だった。

ステロイドの治療を受けた後は

目の下には球後注射の跡の青あざができ、腕には点滴をした跡の青あざが何か所にもできた状態で

電車や飛行機に乗るのは気が引けた。

事情を知らない人には、薬物依存の人?と思われかねない(-_-;)

複視の手術の時は

某、歌舞伎役者が殴打された事件の記者会見で

真っ赤に充血した目で映っていたが

「あっ(*_*)私と一緒だ」と思った。

今でも白目の部分に傷が残っているが、

それを見ると、改めて思う。

「すごいよねー。こんな所を切って治すんだから・・・」

メガネの上から眼帯をして

あんなに不自由な生活をしていたのが嘘のように解消された。

しかし、完全に元にもどるわけではなく、前方30度の範囲だけダブらずに見える

それ以上は眼球が動かずダブって見えるので

目だけではなく頭も動かして見ないといけない。

それでも良かった(^_^)v

先生の、「複視は治してあげるから」と言った

その言葉は本当だった。

つづく

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バせドウ病歴 16

アルツハイマーの父の症状は次第にひどくなっていった。

すでに私が娘である事がわからなくなっていたが、

話しかけるとニッコリと笑い

一瞬でも昔の父に戻った気がした。

自分の病気の事だけを考えていられない状態・・・

それがかえって頑張らなきゃという力の元になったのかもしれない

東京の病院まで出向いても、炎症が治まるのを待つだけ

薬も処置もない経過観察だけが続いたある日

「炎症は治まっているね。本当はもう少し後の方がいいんだけど、生活に支障があるようだから
手術する?」と

先生が言ってくれた。


外来に行く度に、「いつ、手術できますか?」と先生にお願いしていた甲斐があった(^^)v

病院の待合室から急いで夫に電話をした。

「先生が手術してくれるって\(^_^)/」

誰かに言わずにいられなかった。

この日をどれだけ待っただろう。

そして、二カ月後・・・

いよいよ複視の手術を受ける事に・・・

つづく

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バせドウ病歴 15

もともと薬に頼るのが私の悪い癖

バッグの中には

甲状腺の薬メルカゾールと糖尿病の薬グルべスと痛み止めのロキソニンと膀胱炎の薬クラビット

そして誘眠剤のレンドルミンが追加された。

旅行に行く時や入院する時には欠かせない薬

痛み止めや膀胱炎の薬は飲まない事の方が多いのだが、

持っているという安心感が大切だった。

不眠症がつづき、さすがに気持ちもふさぎこんでいった。

変わったと言われる人相にもいやいや慣れていき

外見が嫌で・・・というのではなく

とにかく全てにやる気がおきず、

どんより曇った空を観るだけで気持ちが沈んでいった。

「何かの罰を与えられているとしたら、どんな悪い事をしたと言うんだろう・・・。

でも、自分よりもっともっと悪い事をしている人に罰が与えられている?

それじゃあ、これは何かの修行の為?

いったい何をすれば、神様はこの試練から解放してくれるの?」

そんなマイナス思考ばかり浮かんできた。

私が落ち込んでいようが、やる気がなかろうが、日々の生活の中での私の役割は果たさなければならなかった。

つづく

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バせドウ病歴 14

寝つきは良いので、ベッドに入ってものの10秒もしないうちに眠れた

しかし、1時間もするとパチッと目が覚め

取りあえずトイレに行き

それからというもの、うつらうつらしながら

テレビで観た何気ない1シーンが浮かびあがったり

気にもしていない料理のレシピが思い出せなくて

「調味料、何だっけ???」と必死に思い出そうとしたり・・・

いつの間にかまた眠るのだが

電話をかけているのに、さいごのゼロ「0」のボタンがどうしても押せなくて・・・

「どうしよう(;_:)」とうろたえる夢をみたり・・・

とにかく人生初の不眠症になってしまった。

糖尿病でかかっている内科の先生に相談すると

遊民剤を試してみる?と薬を処方してくれた。

先生も飲んでると聞いて

「ここにも仲間がいた(*_*)」と気持ちが楽になった。


バせドウ眼症の病気仲間は皆が共通して明るく前向きだ。

病室でも笑いが絶えず、不自由な暮らしぶりでさえ笑い話にして話す

でもそれは、共感できる仲間の前だからこそ

家に帰って1人で考えると気持ちはずっしりと重くなる

退院してからもメールのやり取りをしている病気仲間は

たまに落ち込んだメールを送ってくる

「私もそうだよ」という返事に

自分だけじゃないんだという安心感が生まれるのは

私も同じだった。

「次々にたいへんな病気をしても、いつも明るく前向きだよね。すごいよ、私なんかそんなに強くなれないかも」と言われることがある。

でも、それは違うよ。

強いんでもなく、前向きな訳でもない

逃げられない状況では、それを受け入れ、向き合い、立ち向かっていくしかない

何度も逃げ出したいと思い、何度も奈落の底に突き落とされ、何度も這い上がろうとすることで

いつの間にか周りからそんな風に見えるようになるだけ

最初に眼科の先生に会った時、

「複視は治してあげるから」と言われた事を思い出す。

複視は・・・という事は、バせドウは治らないけれど、複視は治せるという事?

さらりと言った先生の言葉に神様がほほ笑んでくれた気がした。

不眠症は誘眠剤のおかげで、麻酔をかけられたようにコトッと眠れた

この日から1年間、1日も欠かさず誘眠剤を飲んだ

つづく

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バせドウ病歴 13

二度目のステロイド治療を終えた後、3カ月ごとに病院に通ったが、

複視の手術のGOサインはなかなかもらえなかった。

病気の威力が強い時は手術をしてもまたすぐに再発してしまうので

炎症が治まり安定してからでないと手術ができない。

最初の頃からいうと、ずいぶん炎症も収まり良くなってはいたが

まだ手術を受けられるところには達していなかった。

それから2年間

手術が受けられず、プリズムを入れたメガネを着用し我慢した。


何度も東京の病院まで通うのに

なかなか手術が受けられないという苛立ち

病気以外にも次から次へと難題が降りかかった。

若年性アルツハイマーになった父の症状が進行し

母と共に介護する日々・・・

息子らの受験

更年期障害も重なり精神状態はズタズタになっていた。

食べる事、寝る事の大好きだった私が

明け方まで眠れない異常状態が続いた・・・

つづく

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バせドウ病歴 12

ニ度目のステロイド治療が終わり一カ月が過ぎた頃

毎年受けている人間ドックを受けた。

すると血糖値が8,1と異常な数値になっていた(@_@;)

「ステロイドの点滴したしなあ(-_-;)」

どうせ一時的なものだろうと、特に心配もせずに

とりあえず入院前に行った糖尿病外来にいってみた。

「薬を飲まないといけませんね。」

先生が気の毒そうな顔で言った。

ステロイドの治療を受けた人全てが糖尿病になるわけではないようだ。

現に入院仲間で治療後に糖尿病になったのは私だけ

ニ月にステロイド治療を受けた後も血糖値が上がっていて

その状態のまま六月にまたステロイド治療を受けたから

急激に上がっちゃったのかなあ?

あれこれ考えたけれど、もう既に遅し・・・

ここから糖尿病の薬も飲まなければならなくなった。

退院二カ月後、

МRIの画像には目の周りの炎症が治まってきている様子が写っていた。

ステロイドが効いてる証拠(*^^)v

このまま炎症が治まってくれればいいのに・・・

つづく

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バせドウ病歴 11

ニ度目のステロイド治療も終わり

明日は退院と言う時に

先生にプリズムを試してみたいと相談すると

すぐに視力検査などをする場所に行って自分に合ったプリズムを試す事ができた。

分厚いビニールのようなフィルムの表面に

縦線のように溝が入っていて

その線の間隔はズレ方によって広かったり狭かったりする。

何枚か試して自分にあった物を選び

メガネのレンズに合わせて切って貼りつけてくれた。

「こんなにピッタリ合うんだ(*_*)」

不自由な眼帯生活から一気に解放された。

分厚いフィルムなので、それなりに見えづらかったり

相手から見ると、「えっ?右側のレンズに何か貼りつけてる?」と思われるけれど

そんな事は気にならないほど、これまでの不自由さからは比べ物にならない快適さだった。

病室に帰り、さっそく同じ複視のHさんに

「プリズム入れたらすごくきれいに見えるよ。先生に相談してみて。」と言った。

Hさんも期待して先生に相談したのだが・・・

彼女の場合は縦にズレてるのでプリズムが使えないと言われたと

ガッカリして病室に帰ってきた。

「ごめんね。Hさん。私だけ喜んじゃって・・・」

心の中で申し訳ないと思った。

つづく

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バせドウ病歴 11

病室の入り口に立ち止まった女性は

くるりと辺りを見回し、窓辺に座っている私を見つけて

「おーっ!」と照れくさそうに言った。

彼女は、久しぶりに会う時には決まってそんな言葉で始まる。

わざわざ遠く愛媛から会いに来てくれたのだった。

24年前、お互い転勤族で・・・

子供が同級生という事から知り合った。

同じ場所に住んでいたのは数年だが

遠く離れてもずっと親友でいた。

いつも親身になって支えてくれた彼女だが、

まさか東京の病院にお見舞いに来てくれるなんて・・・

力の入った肩からスーッと力が抜け、涙があふれそうになるのをこらえながら

「こんな目になっちゃった^_^;」とふざけてみせた。

「いつか元の顔に戻って笑いながら表参道を歩きたい。その時は付き合ってね(^_-)」

そんな願いが叶うのはいつだろう・・・

そう思いながら病院の玄関で彼女を見送った。

つづく

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バせドウ病歴 10

入院も2度目になると不安は少なくなる。

1度目の入院で知り合った4人が一緒にお見舞いに来てくれた。

埼玉や千葉と、いくら近いとはいえ

わざわざ病院まで足を運んでくれるなんて・・・

この病気にならなければ一生会う事もなかったはずの人達との出会いに

心から感謝した。

私が諦めず治療できたのは

精神的、経済的にも支えてくれた家族のおかげ

そして、ずっと励まし続けてくれた友達の存在がなければ

きっと途中で東京に通うのを辞めていただろう。


放射線治療で通院している時は

わざわざ仕事を休んで東京まで励ましに来てくれた。

初めての入院では、病室を明るくと

大きな花束を送ってくれた。

そのたびに、「遠く離れた場所にいても私は寂しくない」

そう思えた。


点滴が終わって夕食までの間

暇になると窓辺にイスを運び窓から外の景色を眺めた。

東京の街中の風景は

道を歩く人を眺めるだけでも飽きない。

同じように暇を持て余した患者が窓辺に横一列に並んで外を眺める姿は

まるで電線に並んで留まっているスズメのようだ。

「コツ コツ コツ」とハイヒールの靴の音が聞こえ

入口の方を振り向いた。

つづく



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バせドウ病歴 9

複視の出方も人それぞれ

私の場合は横にズレていたので、30cmほど離れた場所にコーヒーカップを置くと

それが10cmほどの間隔をおいて2つ置いているように見える。

どちらもくっきりと見えるので、どちらが現物かがわからないほど(-_-;)

見るもの全てが2つ・・・

当然、あちらこちらにぶつかって、知らないうちに青あざができていた

しかし、慣れというものはすごい

いつしか右側に見えるのが現物と、頭が指令を出し、

眼帯を外している時でも家の中ならスムーズに動けるようになっていった。

まぶたの腫れが気になっていた初めの頃よりも

黒目が目がしらに寄ってしまっている状態の方が深刻だった。

ズレはもちろんだが、そんな顔で外出するのが嫌で必ず眼帯で隠していた。

本を読んだりネットで調べたり・・・

とにかく何とかしたいと必死だった。

するとプリズムというフィルムをメガネに貼るとダブらずに見えると知った。

2か月ぶりに東京の眼科に行ったら、

もう一度ステロイドの点滴治療をしましょうと言われ、

一度目のステロイドから4カ月後

2度目のステロイド治療を受ける事になった。

2度目となるとだいたいの副作用も予想でき気分的にも楽だった。
                                                        
「また退院したら、自分が自分でないような不思議な感覚になるのかな?」

「また味覚障害で味がわからなくなるのかな?」

「ムーンフェイスはもっとひどくなるのかな?」

つづく

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バせドウ病歴 8

この頃は1年の内7回も東京の病院に通っていた。

病院から駅に向かう途中、原宿や表参道を通る。

オシャレな若者や修学旅行生、観光客らしき団体の外国人・・・

皆が楽しそうに歩いている。

そんな人混みの中を片目を眼帯した状態で足元が見えづらい私は

うつむいて足元を確認しながら歩いた。

「いつか友達と一緒に笑いながらここを歩きたい。」

そんな日が来るんだろうか?

治療をしているにも関わらず、どんどん悪化していく事に

不安と絶望しか浮かばなかった。

・・・

つづく


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バせドウ病歴 7

退院して、1ヶ月後・・・2カ月後・・・

せっかくしぼんでいたまぶたが

また徐々に腫れ始めると同時に、ダブって見える複視も次第にひどくなっていった。

30㎝も離れていない場所にある物が、少し重なってではなく完全に2つに見える。

右目の黒目部分は中央に寄ってしまい鏡の中の自分を見ても

視線を合わすことができない状態になっていた。

試行錯誤の結果、メガネの上から眼帯をして片目にするとダブらずに見える事がわかり

普通は眼帯をした上からメガネをかけるものだが、

メガネの上から眼帯をするという おかしな格好で暮らす事にした(-_-;)

この頃からムーンフェイスにもなり、

気持ちはどんどん沈んでいった。

入院仲間にその話をすると、似たような悩みを抱えていた。

「街に出かけると、子供が私の方をじーっとみてるの。その子供のお母さんがすみませんとばかり会釈して連れて行ったけど・・・。子供は正直だから、私の顔が変だと思ったんだろうね(-_-;)

何だか人に会うのが嫌で引きこもってるよ。」

と暗い気持ちが感じ取れた。

私も、久しぶりに偶然会った友達に、

「どうしたの(*_*)人相変わってるよ。」と言われた時は悲しかった。

朝起きた時に、前日の不摂生で顔がむくんだり、虫に刺されて腫れていたり・・・

そんな次元ではない

知らない子供が釘付けになって見るほどの変わりように

「なぜ、こんな病気になってしまったんだろう。」

そう思わずにいられなかった。

つづく


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バせドウ病歴 6

空港に着くと夫が迎えに来ていた。

「何か変???」

夫なのに夫でない・・・

2週間も会わなかったから?

とにかく車に乗って懐かしい家に向かった。

家に着くと家族が皆、私が痩せているのに驚いた(*_*)

何度もダイエットに失敗している私が、たった2週間で一目でわかるほど痩せていたのだから( ̄┰ ̄*)ゞ

近所の友達も「おかえりー」と駆けつけてくれた。

でも、ここでも何か変???

誰もが、違う人に見える。

見えると言うより、自分さえも自分でない気がする。

どう表現して良いのかわからないが、とにかく夢の中にいるような不思議な感覚だった。

帰宅したその時から主婦としての仕事が始まり、

まず、洗濯物を干すのにニ階のベランダに行くには階段の手すりを持って一段一段ゆっくりしか上れない(-o-;

味覚障害はしばらくつづいたが、足の筋肉と同様に日に日に回復していった。

退院後も入院仲間とはメールのやり取りをし、

皆が同様に副作用が出ていると聞くと安心した。

治療前に副作用の説明の中に、ムーンフェイスになる事を聞いていたが、

その症状が出るのは治療が終わって一カ月以上経ってからだった。

病院の待合室や病棟には、段階別にいろいろな症状の患者を目にする。

なので、ムーンフェイスの人も見た事があり、

あんな風になるんだ(*_*)と予想はついていたが、

実際に自分がなると鏡を見るのが嫌になった・・・

つづく

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バせドウ病歴5

  2週間の入院を終え、病院の玄関を出ると

  2月初旬と言うのに生温かい風が吹いて

  まるで3月?と思うような暖かさだった。

  2週間ぶりに外の空気を吸って、スキップしたい気分で駅に向かった。

  入院中、各地の名物をたらふく食べた。

  今は一切の間食を禁止しているが、当時はそんな規制もなく自由に食べられたからだ。

  お見舞いに頂いたお菓子や、ご当地名物など

  皆が持ちよりおしゃべりが弾んだ。

  そんな毎日を過ごしていたと言うのに、

  退院時には4キロも体重が減っていた(*_*)

  筋肉量が減ったせいなのか?入院した時に履いていたズボンはぶかぶかになっていた。

  病院から最寄駅までは徒歩10分ほど、

  それなのに、足に力が入らずフニャフニャとした足取りで・・・

  飛行機に乗り遅れたら大変(-o-;

  思うように早く歩けない足を気合いで動かしているような気がした。

  神経が覚醒した感覚はつづいていた。

  空港に向かうリムジンバスの中から、入院中に交換したアドレスに

  次々と送信した。

  既に退院していた人や、まだ入院中の人

  皆が次々に返信をくれた。

  いよいよ家に帰れる・・・

  こんなにも家が恋しいなんて・・・

  思えばこれまでに入院した経験はあったけれど、

  はるばる東京までやってきて、2週間もの間缶詰状態だったんだから嬉しいに決まっている。

  飛行機で1時間20分

  いつも通り、富士山が見られるよう窓側の席を取っていた。

  白い雪をかぶった富士山がきれいに見えた・・・

  つづく

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バせドウ病歴4

  減圧手術を受けたばかりのSさんは20年以上前からバせドウ病になり

  さまざまな治療の経験があった。

  ステロイド治療も経験済みで、早速経験談を話してくれた。

  副作用にはいろいろあって、血糖値が上がる為 血糖値が高い人はこの治療は

  受けられないので、私も入院前には地元の内科で血糖値を計ってもらった。

  ヘモグロビンA1Cは5,8と正常だったので無事治療が受けられた。

  Sさんの場合は胃潰瘍になり、途中でステロイド治療は断念せざる負えなかったらしい。

  それぞれに副作用の出方は違うが、多くの人が経験するのが味覚障害

  コーヒーを飲んでも、コーヒーとはわかるのにおいしくない(-o-;

  カレーなどの濃い味の物を食べても何か変な感じ・・・

  そんな味覚障害があるのに、やたらと食べたくなる(*_*)

  これも多くの人が同じ事を言っていた。

  そして、神経が覚醒されたような?不眠症も多くの人が経験していた。

  筋肉量が減るらしく、上り階段などは手すりにすがりながら上らないと足に力が入らない。

  若い男性で車いすを借りている人もいた。

  どれも一時的なもので、時間が経つと元に戻るのでそれらの副作用を気にするよりも

  とにかく目を治したいという思いの方が強いのは皆同じだった。

  ステロイドの点滴と球後注射は抜群の効果を発揮し、
  
  三日目には重く腫れたまぶたは風船がしぼんでいくように腫れがひいていき

  洗面所の鏡で自分の顔をみては喜んだ。


  そして、退院・・・

  つづく

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バせドウ病歴 3

いよいよ入院での治療が始まりました。

病室に案内されると、いろいろな患者さんがすでに入院していて、

[あっ!同じ病気の人だ。]とわかる、まるで姉妹のように自分に似た顔の患者が

点滴の管を繋いでベッドの上に座っていました。

挨拶をすませ荷物を片づけるやいなや、

[どちらからですか?]

[何回目の入院?]

・・・いろんな質問や自己紹介がつづき、

とても初めて会ったとは思えないような親近感が湧きました。

この病気は珍しいので周りに同じ症状の人が居なくて・・・

その分、同じ病気の人に会うと[仲間がいる。]という意識が働きます。

同室には、バせドウ眼症で眼球突出があり減圧手術という手術を受けた直後の千葉のSさん

交通事故でエアバックが目に当たり片目が失明した埼玉のSさん

8年前にバせドウ病は治ったけれど、その時に腫れてたまぶたが垂れ下がってきて、

その垂れ下がった皮膚を切除する手術を受ける埼玉のHさん

私と同じまぶたの腫れと複視の治療でステロイドの点滴の治療を受けている静岡のМさん

食堂に行くと、男性を含め全国各地からさまざまな症状の患者が情報交換をしていました。

病気の知識はある程度勉強していたけれど、実際の患者からの情報は

本には書いていない実に貴重なものでした。

いよいよステロイドの治療が始まる・・・

2週間かけて、徐々にステロイドの量を減らしていくやり方で、副作用の出方はさまざま

既にその治療は経験済みという先輩患者に早速いろいろな話しを聞く事に・・・

つづく

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バせドウ病歴 2

   発症当初の話は以前も書いたので省きます。

  東京の眼科に初めて行った時は、[これでやっと治るんだ。]と希望に溢れていました。

  リニアックと言う放射線治療を10日間受け、この時もいよいよ治療が始まったという希望に満ち、
  
  不安よりも期待の方が大きかったです。

  リニアックを受けた後、1ヶ月後、3カ月後、半年後・・・

  良くなるどころか次第に症状が悪化していきました(T_T)


  まぶたはどんどん腫れてくるし、明らかに治療の成果よりも病気の威力の方が強いという事

  を実感しました。

  そこで、第二の治療としてステロイドの点滴をする治療を受ける事に・・・。
 
   つづく・・・

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